杉原千畝人道の道
「命のビザ」で知られる杉原千畝は日本の外交官です。第二次世界大戦中に千畝は迫害から遁れようとするユダヤ系避難民に2千通を超えるビザを発給し、数千人の命を救いました。千畝は少年期の約0年間を名古屋で過ごし、名古屋市古渡尋常小学校(現在の名古屋市立平和小学校)と愛知県立第五中学校(現在の愛知県立瑞陵高校)に通いました。千畝の功績を讃えて、当時の居住地付近(中区平和1丁目)から瑞陵高等学校を結び「杉原千畝人道の道」と名付けました。1940年千畝の勤務するリトアニアの在カウナス日本領事館に多くのユダヤ系避難民が日本通過ビザを求めてやってきました。彼らの中にはビザ発給要件を満たしていない人も多くいました。千畝は大変迷いましたが、人道、博愛精神第一と考えて、ビザの発給を決めました。この場所(現在の名古屋市立瑞穂ケ丘中学校)には、千畝が通った第五中学校が建っていました。瑞穂ケ丘中学校の校門から見えるシュロの植えられた庭や寄せのある玄関は、第五中学校時代からあったといわれ、当時を偲ぶ貴重な資料です。
(モニュメント設置場所に置かれ説明文より)
名古屋市立瑞穂ヶ丘中学校
名古屋市立瑞穂ケ丘中学校の玄関車寄せ前のモニュメント
「勇気 千畝十六歳」
ブロンズ作品は日展理事の山本眞輔先生の作品です。とても有名な先生なのでググって頂ければ、多くの記事が出てきます。山本先生とも40年来のお付き合いで、もっぱら台座のデザイン制作でかかわらせていただいております。台座の石はインド産赤御影石です。ちなみに台座正面の「勇気 千畝十六歳」の文字は名古屋市長川村たかし市長がお書きになりました。
山本先生とのジョイントワーク
ここでは山本先生とのジョイントワークを3点紹介します。先生の作品の台座のデザイン、制作、設置
です。
岡崎東病院
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